こんにちは。副住職の祐一です。

それでは昨日の続きです。

今日は生老病死の生について、お話したいと思います。当初、私はこの生という苦しみは、「生きることに伴う苦しみ」だと理解しておりました。ところがそうではないようようですね。「生まれることに伴う苦しみ」だそうです。母の胎内という心地よい空間から、外に押し出される苦しみの事でしょうか?妊婦さんの出産時の痛みは相当なものだと思いますが、その時に赤ん坊も相当な痛み?苦しみ?を受けているから・・・。

こういう説明を受けた事があります。うーん。正直に言うと、私この話はピンとこなかったんです。そもそも仏教における「苦」は「思い通りにならない事」ですから、直接的な痛みや息苦しさの話ではないですよね。赤ん坊の頃の痛みも私は覚えていないですし・・・。

他の解釈では、「生まれた事によって、これから老・病・死という苦に向かっていく原点に立ったのだ!・・・。」って、なんかこれも違うような気がしますね。そもそも論すぎてちょっと納得しづらい部分ではあります。なぜ、老いてしまうのだ!って悩んでいる人に、それはあなたが生まれたからですよ。って変ですよね。

仏教における苦は「思いどおりにならない事」なんです。その事を踏まえると一番合点がいくのが、以下の内容です。

赤ん坊は生まれてくる際に、場所、両親、時代等の境遇を選べない(思い通りにならない)から苦である。確かにこれならピンときます。例えば、お釈迦様生まれた時のインドはカースト制度がありました。(現在でも意味合いが若干違いますが残っていますね)生まれた際に、両親の身分によって、赤ん坊の身分はすでに決まってしまうのです。現在ではそういった制度はありませんが、裕福な家に生まれた子もいれば、貧しい家に生まれた子も選択権があるわけではないので、やはり生まれる際に思い通りにならない事ってありますよね。また時代もそうです。戦争まっただ中の時代に生まれた方々は、若くして亡くなられた方もたくさんいらっしゃいました。そう考えれば、今の私たちはとんでもなく恵まれた環境に生まれたんだと実感いたします。

私的には、上記の「生まれることに伴う苦しみ」というのは、上記のような「生まれてくる境遇が思い通りにならない苦しみ」ではないか?と理解しております。現にお釈迦様も「カースト制度」については、ひどく悩まれたというエピソードもあります。

【まとめ】 生苦 = 生まれてくる境遇が思い通りにならない苦しみ

でした!

現時点では、この理解で行きます。

次回は老苦です。

合掌

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