こんにちは。副住職の祐一です。

本日も引き続きよろしくお願いします。

今日は生老病死の老について、考えていきたいと思います。老苦というのは理解しやすいですね。老いてくことに伴う苦しみですね。四門出遊のエピソードでも紹介されていますが、お釈迦様が太子の時、お城の東門に出た時に1人の老人に出会い、何故人は老いるのか?と嘆いたそうです。何歳くらいの老人だったのでしょうかね?相当ご高齢な方が劣悪な環境におかれていたのでしょうか?恐らく、お釈迦様は「こうはなりたくない!」と嘆いたのでしょう。

このエピソードって、すごいですよね。

老いたくないって、私は思ったことがないですから。年齢を重ねていくにつれて、足腰が弱くなったときに、初めて老いたくないな~って思うかもしれませんが、はっきり言って今でも老いていく苦しみに気づく事ができていません。皆さんはどうでしょうか?

お釈迦様がこの苦しみに気づいたのは、諸説ありますが15歳くらいの時だという事なので驚きです。

ただこれは時代的な背景もあるのかもしれません。上記にも補足的に入れましたが、相当ご高齢な方が劣悪な環境にいて、身動きが取れないような状態だったら、そう思うかもしれません。手塚治虫さんのブッダの漫画もそのような描写であったと記憶しています。そのような光景を見れば、もしかしたら私もという考えになるのかもしれません。

何せ、現在のご高齢の方は、皆さんお元気ですからね。今の私が外に出た際に、ご高齢の方にお会いしても、「私も負けてられないな」という思いしか出てきません。当然、体調を崩されて、御自宅や病院等で療養されていらっしゃるご高齢の方もいらっしゃいます。けど家族にそういった方がいないと中々お会いする機会もないものですから。

少し話が脱線してしまいました。老いていく苦しみは確かに存在します。老いていく事でできなくなることがたくさんあります。足腰が不自由になったときに、「昔はできたのにな」と思う事はあると思います。ただ、現代人にとっては、医療や科学の発達により、その苦しみを和らげる事ができるようになった苦しみなのかもしれません。

ただ、もしかすると上記に事も老苦に該当するのであれば、「大学受験の時にもっと勉強して、そういう大学に行っとけばよかったな~」という事も該当するのではないのでしょうか?今日が終われば、昨日になってしまい、昨日に戻る事が絶対にできない。苦=思い通りにならない事であると。少し老いるという事を「高齢者」という事に限定しすぎていたのかもしれません。少し、頭が混乱してきました・・・。

もう少し整理してまとめていきたいと思います。

合掌。

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